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筋肉は年齢では無く、「生活習慣」に左右されます。
病気や怪我などで、1週間入院するだけで
筋力は劇的に衰えます。
寝たきりになると、それ以後、
筋力は一日に約5%ずつ低下していくと言われています。
筋肉が衰えることによって、
やがていろいろな「トラブル」が起きてきます。
まず、姿勢が悪くなる。
その結果生じるのが、「肩凝り」や「腰痛」など…。
また二足歩行の人間が、真っすぐ立って歩くために
必要不可欠なのが、お尻のところにある
「大臀筋」という筋肉です。
この筋肉が細くなって衰えてしまうと、
きちんと立てなくなります。
そうなると先ず、骨盤の角度が前傾し過ぎてしまい、
それをカバーする為に背骨が曲がり、
肋骨や首が前に出てきます。
真っすぐ立てないので
バランスを取ろうとして膝も曲がります。
いわゆる、腰や背中が丸くなった
「お年寄り」の姿勢になっていきます。
姿勢が悪くなれば、立っているだけで疲れてしまい、
身体を動かすことが億劫になります。
すると、ますます筋肉は衰えていき、
更に無理な姿勢になる。
という悪循環に…。
また、筋肉が縮んだままだと、
乳酸などの「疲労物質」が
どんどん筋肉内に蓄積されてしまいます。
すると、新鮮な酸素や糖質が
血液中に供給されにくくなり、その結果、
さまざまな代謝が悪くなるというデメリットもあります。
実際にこうした筋肉の「急激な衰え」というのは、
70歳前後からと言われています。
しかし、その「前兆」は
30代、40代からすでに表れてきています。
筋力のピークは20代半ば。
何の運動もしなければ、それ以降は下降し、
30代で衰えを自覚し始めます。
ですから、40代でどうアクションを起こすか…。
これが 非常に重要なポイントとなってきます。
続きます。
10月から11月に掛けてのこの時期。
暑くも無く、寒くも無く一年中で
一番過ごしやすい季節です。
スポーツの秋、行楽の秋。
歩いたり、走ったり…。
普段、運動には無関係な方も、
何かと身体を動かしてみたい衝動に駆られたりします。
でも、その前に…。
ちょっとだけ、筋肉についてお勉強しておきましょう。
40代を過ぎると、年齢とともにお肌が衰えていくように、
加齢によって筋肉が落ちていくのも仕方の無い事、
と思われがちです。
しかし、実はそうではありません。
筋肉は「筋繊維」という細胞が幾つか集まって出来ています。
この筋繊維の「数」は、基本的に生まれてから死ぬまでの間、
大きく変化することはありません。
他の体細胞と比べてみると、
例えば、脳細胞などは3歳をピークにどんどん減っていきます。
免疫細胞は、25歳以降やはり減少していきます。
加齢と共に、物忘れがひどくなったり、
病気に罹りやすくなるのもそのせいです。
それに比べて、筋繊維はほとんど減らない…。
つまり、筋肉を構成する細胞の「量」は、
年齢に左右されません。
と言うことは、
若い頃に鍛えた筋肉は衰えること無く、
その後もずっと維持され続けている…
はずです。
が、実際はそうではありません。
昔は出来た腹筋運動も、今では全然出来ないし、
陸上部で鍛えた健脚も気持ちばかりで、もつれ気味です。
ジャンプなんてトンデモ無いし、
直ぐに息が上がってしまいます。
これは、一体どうしたことでしょうか?
それは、筋肉の「数や量」では無くて、
筋肉の「大きさ、太さ」に関係しています。
つまり、筋繊維の一本一本が細くなってしまっている…。
という訳です。
よく使う筋肉はその運動量に応じて、
収縮と弛緩を繰り返します。
その繰り返しによって太さと大きさを増していきます。
逆に何もしないで「刺激」を与えないと、
筋肉は痩せて細くなり、さらには筋繊維同士がくっついて
縮んだまま元に戻らない状態になってしまいます。
細胞の数は減らないが、一つ一つは細く縮んでいく。
その為に、昔鍛えていてもその後、
運動の習慣が無ければ「筋力」は落ちていく一方…。
となります。
では、如何すれば良いのでしょうか?
そりゃあもう、分かり切ったことですが…。
続きます。
ある程度の年配の方に話を伺うと、
「私達ぐらいの年齢になると、今の若い人達みたいに
「もったいなくて」何でも物を捨てる事は、出来ません。
戦争を経験してるから、いつかまた使う事が
あるかもしれないと思って、取っています。」と、
殆どの方が異口同音に仰います。
でも申し訳無いのですが、その
「いつか」は、いつ遣ってくるのでしょうか?
それと、「もったいない」のでしまって置く。
というのもちょっと違う感じがします。
「勿体無い」
漢字で書くとこう為ります。
略字なので、正確に書くと「物体無い」となります。
国語辞典などで意味を調べると、
「勿体」を無しで否定した語。
勿体の「重々しさ」「威厳さ」などの意味から
勿体無いは、
物の本来在るべき姿が無くなるのを惜しみ、
嘆く気持ちを表している。
と書いてあります。
「物の本来在るべき姿」
物は本来、その用途に応じて
「使われて」こそ価値の在るもの。のはずです。
それに「物体無い」は本来、仏教用語で、
「物体無し、仏身在り。」から来ていると言われています。
今あなたの目の前にあるその箪笥は、
ただ単なる「物体(ぶったい)」ではありません。
そこには、仏様が宿っているのです。
という訳です。
仏様と言えば語弊が有れば、
それを「生命(いのち)」と言い換えても良いと思います。
鉛筆で有ろうが、お茶碗で有ろうが、
どんな「物」でも等しく「生命」が宿っているのですよ。
だから、その命を大切に活かしてあげましょう。
というのが、本来の「物体無い」の意味だと思います。
エコだの、リサイクルだのと言うのとは、
ちょっと違うように思います。
ですから、その生命を精一杯活かす為にも、
「物」は仕舞いこまずに使ってあげて下さい。
もし必要で無い物ならば、
何処か別の場所で活かされるようにしてあげて下さい。
それでも、どうし様も無い。
でも、捨てるには忍びない。
そんな場合は、捨てるのでは無くて
「成仏為せて」あげると考えたら、どうでしょうか?
「今まで有難う。」と言って供養するつもりで手放す。
何せ、「飼い殺し」ほど
「物」に取って残酷な事はありませんから…。
それこそ「物体無い」…です。
台風19号が通り過ぎて、昨日あたりから
一気に気温が下がり、急に秋めいて来ました。
昼間と朝晩の寒暖の差が大きく、
なかなか体調管理も難しくなっています。
風邪を引かれたり、アレルギー症状が発症されている方も
多く見受けられます。
気象病で、気圧の変化(特に低気圧)について、
以前このブログでも取り上げましたが、
また気温の変化に関しても書いていきたいと思います。
10月1日が一応、衣替えの日では有ったのですが、
気温が一定せずに、お布団や衣類の出し入れが片付かずに
そのままだった方も多いと思います。
患者さんの中でも衣替えに限らず、
最近流行りの「断捨離」で、
家の中や持ち物を整理しようと
頑張ってられる方もいらっしゃいます。
「終活」では無いのですが、
そろそろ身辺整理を…と考えられての行動。
という方もおられます。
でも、皆さん一様に
「しんどい。クタクタや。」と愚痴をこぼされます。
なかなか思い切れない。
踏ん切りが付かない。
それはそうだと思います。
思い切るとは、色々な「思い」を断ち切ることですから。
「思い出」が詰まった品々。
思い出は、重いで〜。(ひどい洒落です。)
そして、踏ん切る(糞切る)には、
決断(ケツ断)力が必要です。(これも、ひどい洒落。)
「片付ける」って、文字通り今までの生活、
大袈裟に言えば「人生」に
「カタをつける」行為になるわけですよね。
これ迄の歩みを改めて振り返って
必要な物、必要で無い物を選り分けて行くって
本当に骨の折れる作業だと思います。
でも、肩や背中にずっしりと懸かった「重い」を
少しでも軽くする為にも「断捨離」。
この衣替えの時期に「ついでに」、
思い切って片付けてみてはいかがでしょうか?
3連休の最終日に台風19号が日本列島を一気に駆け抜けました。
杏林堂の在る芦屋市内は、断続的に強い風が吹いたものの、
特に目立った被害は無かった模様です。
皆様のところでは、如何だったでしょうか?
2週連続での台風上陸は10年振りだったそうで、
今年は本当に不順な気候がずっと続いています。
広島での土砂災害や御嶽山の噴火など、
思いも掛けない自然災害の発生もあってか、
今回の台風上陸に際しては各自治体の非難勧告の発令もそうですが、
関西圏のJR線の運休も早々と決定されました。
百貨店やショッピングセンターなども夕方4時迄には、
ほとんどのお店がシャッターを降ろしていました。
3連休も相まってこの時期、
行楽や行事などのイベント事が、目白押し。
そんな中での、延期や中止や前倒しなど、
決断にはなかなか勇気が必要だったと思われます。
今回などは終わってみれば、
そこ迄する必要は無かったんじゃないの?という感は、
無くは無いのですが、本当に何かあった場合には、
取り返しの付かない結果に為る事を思えば、
まぁ何事も無くて良かったね。
と大きな心で捉えましょう。
何事も「備えあれば憂いなし。」
それは、身体(健康面)についても同様です。
自然災害と同じで、
少しでも「おかしいな」というサイン(前兆)を感じたら、
一刻も早く医療機関に受診されて、
検査なり検診を受けておくべきだと思います。
検査の結果、何事も無ければそれで安心ですし、
放置してそれこそ取り返しの付かないことに為るより、
よっぽどマシです。
まぁ、それよりも日頃の健康管理、
養生の方が大切ではあるのですが…。
漢方(東洋医学)には、「未病」という考え方もあります。
それについては、また改めて説明して行きたいと思います。
院長先生から宿題を出されてから約20年。
あれから、片時も忘れること無く答えを求め続けた日々…。
なんてことは全く無く、完全にその場限り…でした。
その意味を深く掘り下げて考えることすら、ありませんでした。
しかし、ブログを書き始めて「すべての人生は、実験だ。」
なんて言っていたら、ふっと思い出したものでした。
数多くの方と接し、施術を通して
その方の人生に多少なりとも関わらせて頂きました。
そして、其処からいろいろなことを学ばせて頂きました。
「覚るを悟る。」
院長先生が、伝えたかったのは
何となくこんな感じではなかったのかなぁと
最近思うようになりました。
それは、
生まれたばかりの赤ちゃんや、純真無垢な子供達。
それに、犬や猫なんかの動物たちや、
花や樹木などの植物。
皆んな、大自然に抱かれて育まれています。
私達、大人の人間よりもある意味、
自然の摂理や、宇宙の真理といったものに近い存在。
と言えるかもしれません。
「覚る」:宇宙の真理を直観的に気付く。
もしかしたら、動物や、植物や赤ちゃんなんかは、
生まれながらに覚りを得ているのかもしれません。
でも、自分が覚っている事実を知りません。
比較するものが無いので、
それが「覚り」の状態かどうか気付きようが無い。
と言った方が正しいのかもしれません。
そんな状態から、私達は皆んな成長し、
良いことも悪いことも、楽しいことも苦しいことも、
いろいろな経験を積み、
時には怪我をしたり、病に倒れたりしながら、
思考を巡らせ感情をコントロールする術を学びます。
幸せになる為に。
人生を願い通りに…では、無くて思い通りに生きる為に。
日々、逡巡するのです。
そしてある時、ふっと気づきます。
こう考えれば良いじゃあ無いか…と。
それが「悟り」です。
経験によって知識を身に付けて自ら理解する。気付く。
そして、その気付いた事柄は?
「へえー。そうだったのか‼」
では無くて
「何だ。そういうことか。」
ということばかりです。
昔から知っているし、よく聞いてもいた。
そんな単純で簡単なことだったんだ。
そんな感じだと思います。
何せ、生まれながらに皆んな備わっている感覚ですから。
「覚るを悟る。」
天から与えられた資質を経験しながら学び、自らのものと為る。
人生とは、いわば「覚るを悟る。」為の壮大な実験の場。
なのかもしれません。
これが、「宿題」の答えかどうかは、分かりませんが、
何となく自分なりに「腑に落ちる」感じがします。
でも案外、20年後にはまた別の「悟り」を得て、
正に「心眼を開いた。」と言っているかもしれませんが…。
「潔くある為に必要なものは何か?」
院長先生は、こう続けられました。
「それは、覚悟だよ。」
「そう言われると、皆んな「なぁんだ。」と思うだろう。
潔さと覚悟を決めることって、何となく似通った感じがするからな。」
「じゃあ、改めて「覚悟」とはどんな意味なのか。
皆んな解るかい?」
「覚悟の「覚」は、覚り(さとり)で、「悟」も悟り(さとり)。
つまりは、ダブルのさとりってことだな。」
「でも、覚りと悟り。この違いは、解るかい?」
「覚りの方は、感覚の「覚」で、いわば感覚的に理解する。
直観的に気づきを得る。ということだ。」
「悟りの方は、経験によって知識を身に付ける。
いわば、智恵による気づき。」
「また、覚には宇宙の真理を覚る。
自分以外の世界の成り立ちを知る。という意味もある。」
「つまり「覚」は、直観的に宇宙の真理を覚る。と為る。」
「かたや「悟」は、吾(われ)という文字が表すように、
自分自身のことを悟る。自分自らが悟る。と為る。」
「これ等を全部合わせて考えると、
覚悟とは、世の中の成り立ちを知って、
自分がどうするのかを自ら決めること…。だと言える。」
「よく人間は、覚悟するだの、覚悟を決めるだのって、
簡単に口によるけれど、本来は其処に
「気づき」や、「さとり」といったものが無いと
空回りしてるのと同じことだ。」
「本当の意味で、覚悟が決まった人の行い、
生きざまは清々しくも潔い。と言えるだろう。」
「男らしさは、潔さ。なんてさっき話をしていたが、
これは何も男だけに限ったことじゃあ無いなあ。」
「少し長くなったが、覚悟の意味。分かったかな?」
「ああっ、そうだ。もう一つ
大切な意味があったのを忘れていたよ。
いや、これは今言わない方が良いだろう。
自分で気づく、いわば悟り。
つまり、宿題だな。
まあ、ヒントだけ。
「覚るを悟る。」ということで、
今日はお開きにしようか。」
「ええ〜。そんなぁ。」
続きます。
「潔い」のことを書いていて、
ふっと思い出すことがありました。
以前(といっても、20年ほど前に為りますが…。)、
私の師匠との会話のことです。
院長先生の治療所に見学に伺いその後、
他のスタッフ数名とお酒を飲みながら、話が盛り上がり、
どういった経緯かは忘れましたが、
「本当の男らしさとは」とか、「真のリーダーとしての資質とは」
なんていう難しい話に向かって行きました。
院長先生が、
「君らは、男らしさを一言で言い表したら、どう表現する?」
「一人ずつ、述べなさい。」
そこで、皆んなはそれぞれ答えていきます。
「男らしさは、力強いことです。」
「包容力です。」
「さっぱりと竹を割った様な性格です。」
「経済力です?」
いろいろと出ました。
因みに、院長先生はボディービルダーであり、
少林寺拳法の達人でもあり、
武闘派としての一面も持ち合わせておられたので、
ある程度その辺も念頭に置いて
皆んな答えている感じでした。
「じゃあ、吉田君はどう思う?」
既にひと通り解答が出ていたので、少し考えた末に、
ちょっと違う方向で攻めてみようと思い、
「自分に正直な人だと思います。」と答えました。
するとその瞬間、その場で空気が盛り下がるのを感じました。
(な〜に〜。やっちまったな〜。)
byクールポコ
恐る恐る院長の顔を見ると、反応は意外なものでした。
「なかなか、良い処を突いてるじゃないか。」
「えっ、そうなんですか。」
「皆んなも憶えておいたほうが良い。
男らしさとは、何も喧嘩が強いとか、
行動力があるとかじゃあ無くて一言で表すと、
潔さ…。
と言って良いと思うよ。」
「潔さ…。ですか?」
「そうだよ。「いさぎよし」とは、「いさ」が、
「勇む」や「いと」を表して、
「きよし」はそのまま「清し」だ。
つまり、
「勇んで清し」、「いかにも清い」という意味だ。」
「卑怯なところが無い。責任転化をしない。
常に正々堂々としている様を表しているんだ。」
「なるほど。男らしさは、潔さか。」
「そういった側面から考えると
真のリーダーとしての資質も自ずと分かってくるだろう。」
「それは、常に「出処進退を明らかにする」ということだよ。
身の処し方や、責任の所在を常に明確にしておくこと。
それが出来る人こそが、真のリーダーに相応しい人だと思うよ。」
「確かに、そうですね。」
「それは良いとして、吉田君。
では、潔くある為には何が必要だと思う?」
「ええ〜。それは…。」
続きます。
以前、このブログで人生の悩み事って、突き詰めると
「健康」
「経済状態(お金)」
「人間関係」
「自己実現」の
4つに集約されると思います…
みたいなことを書きました。
元気に御活躍されている御高齢の方々って、
そんな悩み事なんて全く無関係な事柄なんでしょうか?
いや、そうではありません。
苦労話を進んで語られることは、
あまり有りませんが、色々お話を伺っていると、
皆さん大変な人生を送ってこられた方ばかりなんだ…
と気付かされます。
戦争体験もそうです。
事業に失敗して、また立て直したり、
信頼していた人に裏切られたり。
早くに子供さんを無くされたり、
長年にわたって実家と嫁ぎ先の
両方のご両親に仕えてこられたり。
お元気で…と書いていますが、
何処も悪いところが無いわけでは、ありません。
内科も、整形も、眼科も、耳鼻科も、歯医者さんも
全部の診察券をお持ちです。
大病を患って入院されたり、手術されたり。
でも、お元気で御活躍されている方々は、
決まってこう言われます。
「大病をした「おかげ」で、身体に気を付けるようになった。」
「何処も悪いところは無いです。一箇所を除いては。」
その一箇所が、胃癌だったり脳梗塞だったりするのですが…。
そんな色々な体験を通り越してこられた上での、
いや乗り越えてこられたからこそ…。
出来事を他人や、周りや環境のせいにしない。
自分自身が創り、生きて来た人生に責任を持つ。
そんな境地に達することが、可能になったのでしょう。
(偉そうに言って済みません。)
清々しく、潔く。
ある種、「悟り」のような感覚かもしれませんね。
杏林堂にも、お元気で御活躍されている
御高齢の方々が、数多く来院されています。
今迄30年以上施術にたずさわり、
延べにして数万人の方の中には、
スペシャルが付くぐらい健康で、豊かで、
充実した老後?を過されている方も沢山いらっしゃいました。
そんな方々と接していて、時々感じることがあります。
それは、その方々の佇まいや雰囲気に
何となく似通った感覚が在る…。ということです。
体型や体格はまちまちで、恰幅の良い方も、
また小柄で華奢な方もいらっしゃいます。
性格も、エネルギッシュで豪放磊落な方も、
温厚で物静かな方もおられます。
そんな見た目の印象では無い、内面から滲み出るもの…。
たいていの場合、豊かになる為の考え方や感じ方には、
共通点があるんじゃないかなぁ。と何となく感じることがあります。
それは、
人の悪口をあんまり言われません。
嫌なことや、愚痴をいつまでも
クヨクヨ考えたり、口に出したりしません。
楽観的にものごとをとらえます。
あらゆる出来事が、より良くなっていく為に起きていると信じています。
周りの人の幸せを心から願っています。
犬や猫、木やお花。
人だけで無く、生き物(いのち)を大切にします。
遊び心やユーモア精神があって、
ちょっとお茶目でチャーミングです。
堅苦しく無く、人に押し付けたりしません。
人のせいにしたり、周りや環境に文句をつけたりしません。
つまり、自分の人生は自分自身が創っている、創ってきたんだ。
という、ある種の「清々しさ、潔さ。」といったものが、
オーラ?となって現れている感じです。
私自身も、施術を始めたばかりの若い頃には分からなかった
(というか、考えてもいなかった)ことですが、
この歳になってようやく何となく感じ始めた感覚かもしれません。
少しづつでも、そんな境地に近づきたいものです。