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昨日は、全国的に寒波の影響で、
真冬並みの寒さに逆戻りしたような一日でした。
六甲山でも2cmの積雪があり、
芦屋川から臨んでも、奥の方の山が
真っ白になっているのが、見て取れました。
気温は冬に逆戻りでも、服装の方はそうもいかず、
カイロを貼って何とかしのいだ…という方も多かったようです。
こんな身体が冷える日は、
「温かいもの」が欲しくなります。
そこで、「体質改善その1」として、
食材を「火」にかける=加熱処理する…
というお話を。
食材にも拠りますが、
「生」のまま食べると身体を冷やす…ということは、
一般的によく知られた事柄です。
生のお魚を使う「お寿司」も
寒い時期は、売り上げが多少落ちます。
(それをカバーする為、考えられたのが
「節分の恵方巻き」なんですが…。)
そこで、煮たり焼いたりと、加熱することで
「陰性」から「陽性」へと変化させるわけです。
ここで、「加熱」するとひとくちで言っても
様々な方法が考えられます。
直接、「直火」にかける以外にも
焼く、炒める、揚げる、蒸す、茹でる、炊く、煮る…
などが挙げられます。
火にかける方法でも、
網焼きもあれば、バーナー、炙り、
グリルやオーブン、鉄板、陶板、フライパン等々の
器具を媒体にする方法もあります。
しかし、様々な調理法も
「熱の種類」に依って分類すると、
大きく2つに分けられます。
それは、「乾熱」と「湿熱」です。
焼く、炒める、そして「油」を使う、揚げる…が
「乾熱」になります。
そして、蒸す、茹でる、炊く、煮る…などの
「水」を媒体にして加熱するのが、
「湿熱」になります。
では、この乾熱と湿熱とでは、
どちらがより「陽性」へと体質改善させてくれるのでしょうか?
次回に続きます。
桜の咲くこの時期は毎年の事ながら、雨がよく降ります。
先週末に満開を迎えた芦屋川沿いの桜の花も、
この2~3日の雨でかなりの部分が散ってしまいました。
その上に、今日は朝から強い風が吹き、
気温も一気に下がってきました。
いわゆる「寒の戻り」というやつです。
冬から春へ、春から初夏へと行きつ戻りつする
「季節の変わり目」は、
何かと体調を崩し易い時期でもあります。
特に春先は「木の芽時」とも呼ばれ、
花粉症などのアレルギーとも合間って、
自律神経症状を発症される方が増えてきます。
以前にも書きましたが、
アレルギー症状などのある方というのは、
東洋医学的には「陰性体質」が強い…と診ます。
何とかしてこの体質を改善して行きましょう。
ということで、昔から
「体質改善に3つの「ひ」」と言われる方法があります。
これは、いわゆる「食事法」の一つですが、
その中には食材そのもの…だけでは無く、
その食材の調理法や加工法も含まれています。
さて、その3つの「ひ」ですが、
先ず1つ目の「ひ」は、「火」です。
「火」…つまり、食材を加熱処理するということです。
食材(例えば魚など)を「生(なま)」のまま食べると、
身体を冷やしますが、
「火」を通すことにより
「陰性」から「陽性」に変化させる…という訳です。
そして2つ目の「ひ」は、「陽」です。
つまり、お陽さま=「太陽」のことです。
たっぷりとお陽さまに当たった食材や、
太陽光で干した食材などを指します。
そして、3つ目の「ひ」が、「日」です。
これは食材を「日にち」を掛けて熟成させたもの…
という意味があります。
いわゆる「醸造、発酵」食品などが此れに当たります。
3つの「ひ」…「火」・「陽」・「日」。
つまりは、「熱」と「光」と「時間」が
陰性を陽性に変化させるという訳です。
※一つ一つの詳しい内容については、
次回から説明して行きます。
今年も、芦屋さくらまつりが、
本日4日(土)・明日5日(日)に芦屋川畔に於いて開催されます。
心配されたお天気も、今日一杯は何とか持ちそうな気配です。
(明日はちょっとどうかな?)
二年前は荒天で、東北の震災のあった年は自粛で、
二日とも中止になった年もありましたが、
「さくらまつり」も今年で27回目を迎えることとなりました。
阪急から二号線までの芦屋川沿いに咲く桜の木も、
患者さんの話によると、もともとは松林だけの何も無い所に、
戦後芦屋市が植えたもの…なんだそうです。
今年、後期高齢者に為られたばかりの方が、
昔小学生のころの記憶ということなので、
きっと65年くらい前のことになるのでしょう。
多分その時からずっとある古木もたくさん残っていますが、
山手幹線の工事によって、かなりの桜が新しく植え帰られた為に、
若木も目立ち、少し寂しい感じにはなっています。
それでも、今年は「さくらまつり」に合わせるように
ちょうど今が満開の見頃を迎えています。
ルナホール前に露店や、特設ステージなども設置されて
賑やかになりますので、是非足をお運び下さい。
※住宅地でもありますので、バーベキュー等は禁止されています。
ご注意ください。
あ、それとゴミの後始末も宜しくお願いします。
生体を健全に維持する為に必要な、
呼吸、体温、血圧、睡眠、食欲や水分、
その他の調整を担っているのが「自律神経機能」です。
自律神経系は脳の視床下部が司っていて、
その支配下に内分泌系(ホルモン)を司る脳下垂体があります。
「生命活動維持機能」
平たく言えば、「生き残る為」の機能…です。
自律神経を調えることは、
すなわち「生きる力=生命力」を高める…
ということに他ありません。
生命力を高めるのは、健康で楽しく幸せに生きる為です。
生き残る為の能力=サバイバル力とも言えます。
つまり、「自律神経機能」は過酷な大自然の中を生き抜く為に、
生まれながらに備わった(神様から与えられた)必然…だと言えます。
しかし、私たち現代人は、
「自然」から遠く離れた生活を強いられている為、
その機能が正しく発揮されにくくなっています。
自然の中のサバイバルでは、
ほんの些細なことが「命取り」になります。
その為、危険を察知するセンサー(五感)が高度に発達しています。
ここには近づかないほうが良いとか、
これは食べないほうが良いといった、
いわゆる「直感」が働くのです。
「直感」や「第六感」と言われるものは、
どこか違う場所からやって来る…という訳ではありません。
それは「体性感覚」の延長線上にあるものです。
つまり、「答え」はカラダに聞くと良い…という訳です。
自律神経機能は、生体を維持する為にあります。
すなわち「カラダ」を維持し、「種」を保存することが目的です。
しかし、その機能は「アタマ」、脳の視床下部が司っています。
そして、ストレスなどの情動(感情)、「ココロ」の影響も受けます。
「カラダ」と「ココロ」と「アタマ」の統合。
「アタマ」と「ココロ」をコントロールし、
「カラダ」の発する言葉に注意深く耳を傾ける。
それが自分自身を正しく識ること≒自律神経を調えること…に繋がります。
古来から、ヨガや太極拳、古武道などの様々な、
いわゆる「瞑想法」が発達してきました。
そのいずれもが、究極の目的は「生命力を高める」ことにあります。
そしてその方法というのが、
「呼吸」と「身体の動き(心の声)」に意識を向ける…というものです。
その辺りのことは、またいつか書いていきたいなぁ、と考えています。
一つの仮説として読んで下さい。
「脳」は、頭蓋骨の中に収まっているもの…だけではありません。
神経の末端までが「脳」です。
毛細血管よりも細かく、身体の隅々まで網羅し、
巡っている神経の先端までを全部引っくるめて、
そのすべてが「脳」だと考えます。
頭の部分だけが脳ではありません。
脳を身体論的に考えて初めて、
「にんげんのぜんぶ」が理解できます。
自分自身を正しく識ること…を意識すると
「人」は、往々にして「ココロ」と「カラダ」を
別々のものとして捉える傾向があります。
あるいは、自分の内面(精神性)に目を向けることに
専心している場合が多いようにも見受けられます。
容れ物である、自分の身体のことを
きちんと理解している人は案外少ないように思います。
私たちは、心の声(欲望、欲求)には正直ですが、
身体の発する言葉は無視しがちです。
何を食べたら良いのか?という場合でも、
「アタマ」はやれカロリーがどうの、栄養素がどうのと、
様々な知識や情報をもとに考えます。
また「ココロ」は、アルコールや甘い物、
美味しくて食欲を満たす「糖や脂肪」など
己の欲望を求めます。
では、肝心の「カラダ」は実際どうして欲しかったのでしょうか?
「玄米菜食」という食事法があります。
健康の為に、或いはベジタリアンで肉食をしないから…
などの理由で行う方が多いようです。
でも、基本は「今、自分が食べたいと思うものを食べる。」
だと思います。
その上で、たまたま玄米菜食を食べたかった…
だから食べた、というのが、理想的です。
つまり、アタマとココロとカラダが発する言葉が一致している…
ということになります。
これは食事だけのことだけでは無くて、
社会生活を送る上で、
睡眠や運動、仕事や人間関係などでもそうです。
アタマで考える。
カラダで感じる。
自分自身を正しく識ることが出来れば、
自律神経が失調することは、
本来は有り得ないはず…です。
続きます。
自分自身を識るのは、何の為でしょうか?
それは自らをコントロールする為です。
それでは何故、
自らをコントロールする必要があるのでしょうか?
それは「健康な生活」を送る為に…です。
孫子の兵法の中に、
「彼(敵)を知り、己を知れば百戦殆うからず。」
という有名な言葉があります。
そしてこの言葉は、その後にこう続きます。
「彼を知らずして、己を知れば一勝一負す。
彼を知らず、己を知らざれば戦うごとに必ず敗る。」
相手のことを熟知し、自分自身のことも良く理解していれば負け知らず。
相手を知らなくても、自分自身を良く理解していれば悪くとも引き分けに。
相手のことも自分自身のことも理解しないまま戦えば必ず負ける。
つまり「勝敗」に於いては、
自分自身を識ることが何よりも大切である…というわけです。
このことは「健康」という面に於いても同じことが言えます。
彼(敵)を「環境」・「外的要因」と置き換えてみると
分かりやすいと思います。
健康を脅かす外的要因、
つまり自然環境や気候、社会的状況や対人関係、
はたまた何を食べるか?など
様々な「彼(敵)」のことを熟知し、
情報を得る為の努力ももちろん、
大切なことでは有るのですが、
何よりも自分自身の「心と身体」が、
今どんな状態にあるのかを正しく認識することが
「健康な生活」を送る上で何よりも重要なことである…と言えます。
そして、その上で自らをコントロールする役割を担うのが、
「自律神経機能」や「免疫機能」などの
生命維持機能にあたります。
次回に続きます。
「自分自身のすべてを正しく識る。」
それは、自分の内面に目を向け、
そして自らを深く認識すること…なのですが、
では一体「自分自身」を識ることに
どんな意味があるのでしょうか?
自分が何者であるのか?
何処から来て、何処へと向かうのか?
そんな存在のルーツをたどる旅をしよう
というわけでは決してありません。
TVのコマーシャルで、
「ココロとカラダ、にんげんのぜんぶ」
というフレーズが流れていました。
光学機器メーカー「オリンパス」のキャッチコピーです。
オリンパスは、一般的にはデジタルカメラが有名ですが、
もともとは顕微鏡メーカーとして創業し、
現在では内視鏡なども手がけていて、
医療事業と映像事業の二本柱で活躍している企業です。
医療事業や顕微鏡などのライフサイエンス事業は、
人間の「カラダ」を健康にする為に、
そしてカメラを手に表現する映像の世界は、
「ココロ」に感動を与える為に。
つまり、心と身体の両面から
人間の生活の質(QOL)の向上に寄与しますよ…
という意味合いがあるそうです。
「ココロとカラダ、にんげんのぜんぶ」
なかなか良いフレーズですよね。
心だけでも駄目だし、身体ばっかりでも駄目。
両方をしっかり認識することが
人間(自分自身)のぜんぶを識ること…というわけです。
※人間の全部って言うのなら、
スピリット(魂)はどうなん?…って言いだすと、
それはそれでややこしくなるので、
ちょっと置いとくとして…。
次回に続く。
<以前のテント> <遠景 ちょっとわかりにくい?>
<新しいテント>
1月20日から始まった
「えきにし商街」のアーケードの張替え店工事が、
約2ヶ月かかってようやく完成しました。
以前は、オレンジだったテントの色が、
新しくなって今回は「白色」(アイボリー)に。
とても明るくなりました。
支柱の「焦げ茶色」(ダークブラウン)との組み合わせで
ちょっとお洒落な感じに仕上がりました。
それより何よりも、雨が降っても大丈夫になりました。
アーケードなんだから、
そんなことは当たり前なわけなんですが、
工事期間中にその「当たり前」の有り難みを
痛感することとなりました。
この冬は例年に無く、雨も雪もそして、風の吹く日も多く、
その度に表にある看板も、玄関マットも、
治療所の扉もびしょ濡れに…。
患者さんにも本当にご迷惑をお掛けしました。
開業以来、JRの駅から濡れずに歩いて来れるのが
「当たり前」に思っていたのが、
実はとっても「有り難い」ことだったんだ…と初めて気付きました。
無くして初めて、その有り難みに気付くことは、いろいろ有ります。
例えば、親の恩で有ったり、家族や連れ合いだったり…。
仕事やお金、地位や名誉かもしれません。
若さや体力、人によっては視力や聴力、
歯や髪の毛…なんて言う場合もあるでしょう。
何事も有って「当たり前」という訳ではありません。
維持する為には、其れなりの努力が必要です。
私たちの身体、「健康」についても同じことが言えます。
無くして初めて気付く…ことも時に必要ですが、
それよりもそうならずに済むことの方がよっぽど大切です。
その為には、先ず自分自身を正しく識ること、
そして感謝し務めること。
「気付く」よりも前に、先ず「気を付ける」こと。
それが何よりも肝腎である…と
私自身、「気付かされ」ました。
「東風吹かせ、臭いともども、かえしたい、
黄砂PM、ついで花粉も」
これは、ある関西人の心の歌です。
日本海の海上に、超巨大強力扇風機を設置して、
送り返してあげますよ…というものです。
黄砂は、中国の黄河流域にある
砂漠地帯から飛んでくる砂で、
実際「黄色い」色をしています。
五行色体表によると、
木・火・土・金・水の順番に、
「五色」が青・赤・黄・白・黒で、
「方角」が、東・西・中央・南・北となります。
もともと、この「五色」は中国(大陸)の
それぞれの方角の土壌の色に基づいて決められた…
と言われています。
つまり、中央の砂地が「黄」、
東側の赤土、北側の黒土という具合です。
古代中国では、
漢民族の住む「中央」は、「黄帝」の位置を表し、
中央の華(はな)と自ら称していました。
そして、その他の四方にある地域に居住していた「異民族」を、
東夷(とうい)、西戎(せいじゅう)、南蛮(なんばん)、北狄(ほくてき)と
蔑称で呼び、区別していました。
つまり、中華(華の中)と華の外の世界があるという思想です。
これが所謂「中華思想」と呼ばれるもので、
漢民族(漢人)が世界の中心(天子)である…という考え方です。
そして、そんな世界の中心(天子)の国から、
毎年「春」になると贈り物が届きます。
偏西風に乗せて、「極東」の日出ずる国日本に、
位の高い色である「黄色い」砂のプレゼントです。
しかしこの届け物、受け取る側にとっては、
まったく持ってありがた迷惑な代物です。
黄砂だけなら「自然現象」となるのですが、
ついでに「化学物質」がトッピングされて来たり、
PM2.5までラインナップに加わったりすると、
この時期「花粉」と合間ってまさにトリプルパンチ(三重苦)です。
本当に何とかして欲しいものです。
とは言え、現実的には自分達で予防し、
対策を講じるしか仕方ありません。
「もう結構ですから、これからはお気遣い無く。」
と言っても理解してもらえませんし、
かと言ってこちらから「東風」を吹かせてみても、
あちらにとってはきっと「馬耳東風」といったところでしょうから…。
「東風吹かば、匂ひおこせよ、梅の花、
主なしとて、春を忘るな(春な忘れそ)」
菅原道真が、京の都から太宰府に左遷される時に、
日ごろ愛していた「梅の木」に別れを告げる際に詠んだ、
有名な和歌です。
その後、この梅は太宰府の道真のもとへ
飛んでいったといいます。
これが、「飛び梅」の伝説と言われるものです。
梅の花が咲く、春先には東風(こち)が吹きます。
東風(こち)は、春の「季語」でもあります。
漢方(中医学)において、理論的な根拠とされるものに
「五行論」というものがあります。
これは「宇宙の万物は、すべて木・火・土・金・水という
5種類の物質の運動と変化によって生成されている」
という考え方で、この学説に基づいて、
自然界と人体のすべてを「五行」に分類しています。
例えば、「木(もく)」は、
・五臓で言えば、「肝」
・季節で言えば、「春」
・方角で言えば、「東」
・外気で言えば、「風」
・五色で言えば、「青」
・感情で言えば、「怒」
・感覚器で言えば、「目」
などとなっています。
このように分類した表(ひょう)を「五臓色体表」と呼び、
人体、五臓のこと、症状、食べ物などが細かく記載されています。
これによると、
梅の花の咲く季節を「肝木の春」と言い、
冬には北から吹いていた冷たい風が、
東からの生温かい風へと変わり、
木々が芽吹き「青葉」が「目」を楽しませ、
何となく浮き浮きとして落ち着かない感覚になります。
ちょっとイライラしたり、「怒り」っぽくなったり…。
この時期のことを「木の芽時」と呼びます。
また春は、「風」の性質の如くに、
気候がコロコロと目まぐるしく変化し、一定しません。
最近では、その風に乗って「梅の香」ならぬ、
「花粉」が飛んで来たりします。
きっと道真の時代には、
「花粉症」などと言う、厄介な代物は無かったでしょうね。