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日別アーカイブ: 2014年10月18日

もったいない

ある程度の年配の方に話を伺うと、

「私達ぐらいの年齢になると、今の若い人達みたいに

「もったいなくて」何でも物を捨てる事は、出来ません。

戦争を経験してるから、いつかまた使う事が

あるかもしれないと思って、取っています。」と、

殆どの方が異口同音に仰います。

 
でも申し訳無いのですが、その
「いつか」は、いつ遣ってくるのでしょうか?

 
それと、「もったいない」のでしまって置く。
というのもちょっと違う感じがします。

 
「勿体無い」
漢字で書くとこう為ります。

 
略字なので、正確に書くと「物体無い」となります。

 
国語辞典などで意味を調べると、

「勿体」を無しで否定した語。

勿体の「重々しさ」「威厳さ」などの意味から

勿体無いは、

物の本来在るべき姿が無くなるのを惜しみ、

嘆く気持ちを表している。
と書いてあります。

 
「物の本来在るべき姿」
物は本来、その用途に応じて

「使われて」こそ価値の在るもの。のはずです。

 
それに「物体無い」は本来、仏教用語で、

「物体無し、仏身在り。」から来ていると言われています。

 
今あなたの目の前にあるその箪笥は、

ただ単なる「物体(ぶったい)」ではありません。

そこには、仏様が宿っているのです。
という訳です。

 
仏様と言えば語弊が有れば、

それを「生命(いのち)」と言い換えても良いと思います。

 
鉛筆で有ろうが、お茶碗で有ろうが、

どんな「物」でも等しく「生命」が宿っているのですよ。
だから、その命を大切に活かしてあげましょう。
というのが、本来の「物体無い」の意味だと思います。

 
エコだの、リサイクルだのと言うのとは、

ちょっと違うように思います。

 
ですから、その生命を精一杯活かす為にも、

「物」は仕舞いこまずに使ってあげて下さい。

 
もし必要で無い物ならば、

何処か別の場所で活かされるようにしてあげて下さい。

 
それでも、どうし様も無い。
でも、捨てるには忍びない。
そんな場合は、捨てるのでは無くて

「成仏為せて」あげると考えたら、どうでしょうか?

 
「今まで有難う。」と言って供養するつもりで手放す。

 

何せ、「飼い殺し」ほど

「物」に取って残酷な事はありませんから…。

 
それこそ「物体無い」…です。