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カテゴリー別アーカイブ: 言葉のこと

祈りと祈願と

今は、受験シーズン真っ盛り。
志望校を目指して、寝る間も惜しんでの勉学の日々。
でも、やっぱり
最後は神頼み。
天神さんに「合格祈願」の絵馬を奉納します。
「祈願」いわゆるお願いをするわけです。

 

これに対して純然たる「祈り」は、

お願いではありません。

 

「祈り」は「意宣り(いのり)」と書き、

自分の意(こころ)を宣る(宣言する)と言う事を表します。
つまり、私はこうします。
こういう生き方をします。
と神に誓うのです。

 

私は医学部に入って、沢山の人の役に立ちます。
どうか見守って下さい。
そして導いて下さい。
と言うのがいわゆる「祈り」です。

 

お願いしちゃいけないと言う訳では、有りません。
でも、結果の有無に関わらず、

お願いには其れなりの対価(お礼)が必要ですよね。

ごちそうさま

「ごちそうさん」

 

NHK大阪放送局の朝の人気ドラマです。
大阪人は、家の食事だけで無く
外食のあとでも、店員さんに

「ごちそうさん。美味しかったで。また、来るわ。」

と声をかけます。

 

「ごちそうさま」

漢字で書くと「御馳走様」

 

昔は、今と違い食材を調達するのも大変な事でした。
「馳走」とは、
駆けずり廻って、奔走するさまを表しています。
大変な思いをして、食材を集め、料理を作って下さった方に
感謝の意を込めて、丁寧語の
「御」と「様」が付いて
「御馳走様」

 

「いただきます」が、
あなたの命をわたしの命とします。
と言う意宣り(いのり)の言葉。

 

そして「ごちそうさま」は、
その命を、料理(いのちの糧)に
変えて下さった方への感謝の言葉。

 

どちらも美しい日本人の心です。

漢方薬と和漢薬

日本の気候は、
大陸ほど極端な気温の変化が少なくて、

(最近はちょっと変ですが)

四季の移り変わりがある為にゆるやかに穏やかに流れて行きます。

 

その為に、日本人はあまり強い刺激を好まず、

比較的、繊細な感覚の方が多い様に見えます。

それに合わせて鍼もより細くてしなやかになって行き、

鍼先は松葉形と呼ばれる進入し易く、

また痛みを感じにくい形のものへと、
進化して行きました。

 

また、飲み薬も、国内に生育している植物由来のものがほとんどで

(中国では、鉱物や動物由来のものも多いです。)

身体に優しく、効き目も比較的穏やかになっています。

 

中国の漢方薬に対して、日本のそれは、

日本式の漢方薬=「和漢薬」と呼ばれる事もあります。

 

*三回に分けて、日中韓それぞれの違いを書いてきましたが、
ある一面をかい摘んで記したもので、決して全てを表したものでは有りません。

参考程度にお読み頂ければ幸いです。

儒教の教え

気候、風土や生活習慣、

食べ物といったものが変われば
そこに住む人々の体質にも影響を及ぼします。
それに合わせて、治療方法も少しづつ変化して行きます。

 

同じ中国の国内でも寒い地方と暖かい地方では、

当然違います。
昨日のブログの内容は、

王先生の勤務されていた上海の病院では…。
という事になります。

 

韓国の場合、一番の特徴は、
肘から先、膝から先、

或いは顔や耳といった服を脱ぐこと無く
既に露出している部分のツボで

全身の調整を行なう事が多い
という事です。
ご存じの通り、ツボというのは
全身にくまなく分布している訳ですが。
寒さの影響もあると思いますが、

何と言っても儒教の教えによるところが
一番大きいと思われます。

 

特に女性の場合などは、

治療であっても人前で肌をさらす事に
抵抗を感じる方が多い様です。
それに伴って、

発展して行った治療方法と言えるかもしれません。

 

韓国における儒教の影響は、

我々の想像以上に強く残っていて、

治療現場でも日本の場合より、

より伝統的、東洋的な感覚が強く、

初めて治療を受けた時などは

少し戸惑いを感じる事が有るかもしれません。

いただきます。

私たちは、食事をする際に

必ず手を合わせて
「いただきます。」
と言います。

 

「戴きます。」
あなたの命を頂戴致します。

 

「頂きます。」
頂き。
即ち、上(かみ)からの賜り物を頂戴致します。
と言う意味合いと、
私たちは、
食物連鎖の頂点、
「頂き。」に居ます。
という事実を食事の度に
再確認する作業
とも言えます。

 

連綿と続く食物連鎖の輪、
それは、
いのちを受け継いで行く作業。

 

あなたの全てを受け容れます。

あなたの生きてきた全てを引き受け、そして受け継いて生きます。

 

食事の度に、
そう宣言しているわけです。
「いただきます。」

 

美味いや、不味いだの
ましてや、有効成分のみを抽出して…..

(栄養だけを考えて。)

なんて話しとは、まるっきり違います。

 

 

ありがたく全てを受け容れる。

一物全体主義。

 

本来の「医食同源」とは、
こういうところから来ている
のかもしれません。

杏林満園

杏林堂の入口をあけて直ぐ、

受付の上に写真の額が飾ってあります。

 

「杏林満園」

 

額にも署名があるのですが、上海中医薬科大学教授(当時)の

王 龍宝(ワン ロンパオ)先生が
16年前、治療所を開業する際に
書き下ろしてくださったものです。

 

この文字の意味するところは、

 

昔、中国に華佗と言う多くの患者さんから尊敬される
名医が居ました。
この華佗さんは、患者さんを治療した際に

治療費としてお金を頂かずに、

身体に良いとされる杏(あんず)の実を患者さんに食べさせて、

その種を自分の治療所の庭に植えさせる事で

治療費の代わりとさせていました。

 

くる日も、くる日も患者さんを
治療しては、庭に杏(あんず)の種を植えさせて…。
を繰り返して行くうちに、

ある年の春に華佗さんの庭の杏(あんず)の林は、

満開の花でおおわれていました。

 

と言う話で、中国では治療院を開業する際には、

「貴方も、この故事に倣って沢山の患者さんを喜ばして下さい。」

と言う意味を込めてこの文字を贈るのが
慣わしだそうです。

 

私が、王先生から頂いた時は、
治療するのはお金の為では無い。

と言う「医は仁術」的な意味合いとして受け取ったのですが、

後から聞くとどうやらそうでは無くて、
満開になるくらい一杯患者さんが来る様に、と言う

どちらかというと「先客万来」的な意味合いが中国では一般的なんだそうです。
ちょっと、赤ひげ先生的なイメージとは違うのかな?

 

まあ、それはさておき。
杏林堂にお越しの際には、

良かったら受付にある額をじっくりと眺めてみて下さい。

 

どう感じられるかは、貴方次第です。