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芦屋サマーカーニバル

祇園祭、天神祭と来て、今日26日は芦屋でも、

毎年恒例の芦屋サマーカーニバルが開催されます。

 

 

19:50〜20:30までに約6000発打ち上げられる

花火をお目当てに多くの方が来場され、

年々賑やかな催しとなっています。

昨年は9万人の人手があったそうです。

 
日中から花火の打ち上げ直前まで、

市民によるステージやイベント、音楽ライブやお笑いライブ。

それに約150店の屋台が出店し、縁日気分で楽しむことも出来ます。

 
フィナーレの花火大会は、

テーマに合わせたBGMや効果音とのコラボで

ちょっとロマンチックな雰囲気…だそうです。
というのも、私は会場で見たことは無くて、

ちょっとした高台や、山手まで上がって楽しんでいます。

花火を見るだけなら、

西宮浜やサンシャインワーフ、六甲山からも一望出来ます。

 
時々、往診でお邪魔する、ある特養の老人ホームでは、
食堂から真正面に、座って鑑賞することが出来るそうです。

 
でも、どうしても真近でお祭り気分を味わいたい…という方は

是非、阪急バスでご来場下さい。

JR、阪急、阪神の各駅から徒歩でも行けますが、30分位かかります。

それに当日は、会場周辺は交通規制が敷かれていますので、

車での来場は出来無くなっています。

 
是非、会場までのアクセス方法や熱中症などの暑さ対策など

万全にされた上で、夏の思い出作りに芦屋の浜までお越し下さい。

「山の日」を考える。

昨日は、祝日「海の日」でお休みを頂きました。
近年は、祝日を月曜日にして連休を増やす取り組み?

が為されていますが、再来年の2016年の8月11日を「山の日」と制定し、

またまた休日が増える運びとなりました。

 
「海の日」が有るのに、「山の日」が無いのはおかしいと、

日本山岳会や自然保護団体の働きかけで制定に到った訳ですが、

その趣旨はこうなっています。
「山に親しむ機会を得て、山の恩恵に感謝する。」

 
確かに国土の2/3を森林で覆われている日本の国民としては、

その恩恵に感謝し、思いを馳せる日を設ける事は、

必要では有ると思いますが、それが何故8月11日なのかは、判然としません。

 

 
5月のゴールデンウィークに「WOOD JOB!(ウッジョブ)」という映画を観ました。
「スウィングガールズ」や「ウォーターボーイズ」などの作品を手がけた

矢口史靖監督の最新作で、「林業」をテーマにした

笑いと感動の青春エンターテイメント…。という謳い文句でしたが、ナンノナンノ。

 
日本の林業の現状や、山を管理する事、一本の木を育てる大変さなどが、

さり気なく描かれていて勉強にもなりました。
何よりも、雨上がりの木漏れ日や、

大木の上から見渡す風景の美しさは感動ものでした。

 

 
富士山の世界遺産登録や、

山ガールと呼ばれる若い女性や、
中高年の方による登山ブームなど、

山に親しむ機運は高まっているのは、確かです。

 
しかし、それだけでは無く
山を考えることは、森を考えること。
山を考えることは、治水を考えること。
山を考えることは、里の暮らしを考えること。

 
そしてそれは、日本の国土保全と

産業としての「林業」をもう一度見直すこと。

 
「山の日」がそんなきっかけとなれば、良いなぁ。と

巨木マニア?の私は密かに考えています。

「海の日」に思う。

今日から、子供達は夏休み。という学校も多いことでしょう。
お勤めの方は、3連休に。
月曜日は当院も休診という事になるわけですが、

 

7月の第3月曜日の祝日「海の日」。

たしか震災(阪神大震災)以降に始まったはずですが、

一体全体、何を記念して制定されたものなのか、

もう一つはっきりしません。(私だけか?)

 
そこで、公益財団法人日本海事広報協会のHPを検索してみました。

そこには、

※国民の祝日「海の日」は、海の恩恵に感謝し、海洋国日本の繁栄を願う日です。

と記されていました。
また、

※明治9年、明治天皇が東北ご巡幸の帰途、

灯台視察船「明治丸」で青森から函館を経て横浜にご安着された日である

7月20日に由来します。

との説明も。

 
祝日の無い7月に、何とかお休みを…。という海事関係団体からの

強い働きかけで制定されたという経緯もある様です。
確かに、7月→夏→海。のイメージはぴったりではあります。

 

 
芦屋の浜では近年、埋め立てが進み、

そこに新しいオシャレな一戸建ての家が次々に新築されています。

ショッピングゾーンも出来、芦屋マリーナと呼ばれるヨットハーバーもあります。
つい最近、天然温泉の施設も完成しました。

芦屋の街も海へ、海へと開けていきます。

 
でも、ふと思います。
温泉が湧くという事は、地震の可能性もあるのでは?

地震が起きたら、津波の心配は無いのか?

実際、阪神大震災の時は、埋め立て地には液状化現象がありましたし。

 

 

東北の大震災があってから、「海」に対する感じ方は

私の中で微妙に変化しているのは確かです。

 

 

この開発は大丈夫なのか?

 
まだ梅雨も明け切らない、蒸し暑い夏の昼下がりに

朦朧とした頭でそんな事を思う今日この頃です。

生きることは、表現すること。

生きている間に、いろんな事を体験する事が、生きる「目的」ならば、

表現することは、「生きることそのもの」と言えます。

 
どんなに強くなっても、正しく生きても、世の中、色々有ります。

生きていれば、嫌なことに必ず遭遇します。

どんなに精神論を振りかざしても、

目の前から消えて無くなる訳では有りません。

 
楽しいか、楽しくないか。
だったら、何でも愉しまな。
悩みを笑いに変える。

そんな生まれ乍らのセンスの良さが、関西人には、備わっています。

 
生きることは、表現すること。
私自身、そう考えています。
ならば、表現する為のツールは多いに越したことは有りません。

 
人によって表現方法はさまざまです。
人前で、話をする。歌を歌う。ダンスをする。

身体を使って気持ちを伝える。スポーツをする。

とにかく一番を目指す。走る。山登りをする。

写真を撮る。文章を書く。絵を描く。動画を作る。
設計をする。物を作る。

 
日常生活でも、そうです。
友人とおしゃべりをする。ショッピングをする。

お洒落をする。お化粧をする。習い事を始める。
誰かを好きになる。ドライブをする。旅に出る。
子育てをする。食事を作る。
家族の世話をする。

 

 
仕事をして、お金を稼ぐ。事業展開する。

ボランティアをする。
勉強をする。指導する。誰かの役に立つ。
人を笑わせる。etc…。

 
私自身も、このブログを通して、「心と身体」の健康と言う観点から

何か表現することが、出来れば良いなぁ。と考えています。

 
しかし、世の中には、楽しい事ばかりでは無く、

中には自分を表現する方法として、

反社会的な行動や、犯罪行為といった

極端な方向に走ってしまう方も残念ながら有ります。

 
また、愚痴や不満や怒りや悲しみをストレートに表現したり、

逆に表に現すことが出来ずに、溜め込んで、

病気や身体の不調和という形で表現されてしまうケースも実際、

見受けられます。

 
生きることは、表現すること。
ならば、自分自身も周りも全てが、

「笑顔」に成れる表現方法を心がけたいものです。

 
そして、私も「施術」という表現で少しでもお役に立てれば…
と日々、研鑽中です。

生きる「目的」は?

人は何故、生きるのか?

何の為に生きようとするのか?
有史以来の大命題です。
まあ、そんなに大袈裟に構えなくても、

誰でも一度は考えたことが有るはずです。

 
人間が「生きる」基準と言うものが、

昔々は、種(しゅ)を残す為、または生き残る為に、

「強いか、弱いか。」「損か、得か。」だったのが、

ただ「生き延びる」だけでは無く、

「より人間らしく」生きる為に、

「善か、悪か。」「正しいか、正しくないか。」が問われる様になり、
そして現代では、より「自分らしく」生きる為に、

「楽しいか、楽しくないか。」が行動する際の判断基準であるべきだ。
と言われる様になって来ました。

 

 

自分の心が喜んでいるか。
今、イキイキと輝いているか。
究極、生きるとは幸せになること。

自分の人生の主人公は「自分自身」であるべきはず…。
と言う考え方です。

 
楽しいか、楽しくないか?

そう感じるのには、大きく分けて2つの方法があります。
それは、体験(経験)する事。
そして、表現する事。
インプットとアウトプット。

 
いろんな経験を通して喜びを知る事。体感する事。
自分自身の思いや、気持ち、アイデア、想像を表(おもて)に現す。

具現化する喜び。
どちらも大切です。

 
生きていれば、色々な出来事に遭遇し、体験します。
楽しい事ばかりでは、有りません。

それをどう捉えるかは、その人次第です。

 

 

突き詰めれば、「体験」する為に、人は生きているのかも知れません。

体験して得る何かのために。

生きる「目的」は、体験する事…。

 
では、表現する事は?
続きは次回に。

それぞれの表現。

前回の続きです。
何度か寄席に足を運んでいると、

結構同じ「演目」にぶつかることが有ります。

同日、出演者同志が被る…。何てことはさすがに有りませんが、

昨晩、新宿で聞いたお話しを次の朝、また上野で…。

 

 

これはデジャヴュなのか?

そんな訳は有りません。
演者が変われば、同じお話しでも、

まるで違った印象になります。

 
まずは、話の取っ掛かり「まくら」。

どんな内容のものを持って来るのか?

「掴み」はOKなのか?

話家さんの個性と力量が如実に表れます。

 
それと登場人物の設定、舞台となる土地や場所の

説明の仕方も各々、特徴があります。

 

 

あと、話家さんによって声の張り方や、

高低、口調なんかも十人十色。

表情、しぐさ、間の取り方も各人各様です。

なんと最後の「落ち」までが、まちまち。(ウソです。)

 
師匠から教わった「古典」としてのお話しは同じ一つのもの。
でも、「演目」として高座で演じられるのは、

その「演者」の数だけ存在しています。

その「違い」を体感することも楽しみの一つと言えます。

 

その違いを個性というのか、「味」と呼ぶべきか?
まあ、「味」が出るにはもう少しの熟成期間が必要かもしれませんが…。
同じお話しでも、表現方法はさまざまです。

 
病気も同じことです。

身体の状態の感じ方は、人それぞれ。
また、症状の訴え方も各人各様です。
何をストレスと感じるのか?
また、痛みと感じるのか?

 

 

その患者さんの身体が訴えかける「症状」という

お話しの主題「演目」は何なのか?

 
その方の背景に在る生活環境や人間関係、

その他諸々の条件も踏まえながら、

その「それぞれの表現」に謙虚に耳を傾ける必要性を痛感する…

今日この頃です。

表現するチャンス。

時々、勉強会やセミナー、はたまた個人的な要件で

東京まで出掛けることが有ります。
そんな時に必ず、といって良いほど立ち寄る処があります。
それは、「寄席」です。

 
上野広小路「鈴本演芸場」、新宿「末廣亭」、浅草「浅草演芸ホール」等々。
中でも、鈴本演芸場には大変お世話になっております。

 
仕事の関係上どうしても日曜日に出向くことが多い為、

朝一番の飛行機で羽田へ。

その足で朝10時から始まる「早朝寄席」に直行。
終わったら、お昼を食べて勉強会に出席。

最終の飛行機で日帰り。

これがお決まりのコースです。

 

 

たまたま、土曜日の午後、予約が早く終えた時なんかは、

21時30分開演末廣亭さんの「深夜寄席」にお邪魔させて貰ったりもします。

 
どちらも、2つ目さんの勉強、発表の場で、自主興行。
案内も、もぎりも全て落語家さん自らが遣ります。

 
しかも料金が、上野広小路が500円、新宿で1000円。
こんなんで大丈夫?って却ってこちらが心配するぐらいのお値段で、

毎回みっちりと古典落語を楽しませて貰えます。

 
演者が4人で1時間半、客席が285席で全部埋まったとして…。

何て計算は野暮。

 
高座に上がって一席伺う。

つまり、話家さんは、喋ってナンボ。

それが自分を表現する方法です。

(偉そうに言っているのではありません。若手は、そのチャンスが中々無いのです。)

そして、私はそのそれぞれの「表現」を感じる為に、寄席に足を運んでいます。

雨が降ったら

「あめがふったらポンポロロン
あめがふったらピッチャンチャン。」

と耳に残る響きが子供たちもお気に入りでした。

 
今日は、梅雨のこの時期に読んでホッコリとする絵本を一冊、
ご紹介します。

佐野洋子さんの「おじさんのかさ」(講談社発行)です。

 
おじさんはとても立派な傘を持っていました。

ご自慢の傘で出掛ける時はいつもその傘を持っています。

でも雨が降っても傘を差しません。

なぜって大切な傘が濡れてしまうからです。

というちょっと頑固で愉快なおじさんが主人公のお話です。

 
そんなおじさんがある日、公園で小さな男の子と女の子が、

雨の中、楽しそうに歌っているのが聞こえました。

「雨が降ったらポンポロロン、雨が降ったらピッチャンチャン。」

おじさんは、子供たちの歌が妙に気になって、

自分も何となく試してみたくなりました。

 
そしてついにご自慢の傘を差してみます。すると…。
確かにポンポロロン、ピッチャンチャンという音がします。
嬉しくなったおじさんは、雨の街へと…。

そして、家に帰ったおじさんは,しっかり濡れた傘を見て

濡れた傘も良いもんだ。と思います。

 
このお話は、2つのことを私たちに教えてくれます。
先ず、物は使わなくっちゃ!という事。
そして、物には夫々役割があって

その役割を果たした時が、最もその物らしいんだと…。
本当の自分、その人「らしく」生きた時が、最も輝いているんだ。

さあ、生きよう。って。

 
雨が降ったら、

雨の日もそう悪くはないよね。

そう思えたりします。

 

そして最後の奥さんのナイスなツッコミにも

思わずにやり。

 

青龍

w杯、ギリシャ戦。
朝7時のキックオフの為に、

リアルタイムで試合を観ることが出来ませんでしたが、

患者さん情報によると、

ギリシャ選手の退場で、数的優位にも係わらず攻め切れずに、

痛恨のスコアレスドロー。

これで、予選リーグ突破は限りなく難しいものとなってしまいました。

 
それにしても、2試合続けての雨。
前回大会では、ユニホームに熊野本宮大社のお仕えである

八咫烏が設えてあったのですが、
今大会では、そういった日本代表をサポート(守護)するものが無く、

大丈夫なのかな?と心配してはいたのですが…。

 
でもまあ、ここまで来たら雨続きでもあるし、

サムライブルーの青繋がりで、

四神の中の東方を守護する青龍にお願いして、
極東の地から来た日本代表の為に、

遠いブラジルの地で働いて貰い、次のコロンビア戦では雨。

とは言わずにまさかの大嵐に。

 

 

その混乱に乗じて、怒涛の大量得点。

そして、大逆転での決勝リーグ進出へ。
何ていう奇跡が起きないものか。

 

 

ここは、本当に神頼み…。です。
でも、そんな荒天の状況であっても、

雲間から覗くわずかな「光」を信じて最後まで諦めること無く、

頑張れ日本。

子育ては、質か?量か?

先日、十年前からずっと仲良く二人で、治療に来られていたカップルが

めでたく結婚し、その後妊娠、出産されて

五ヶ月の赤ちゃんを連れ、来院されました。
赤ちゃんもとってもかわいく、お元気で、子育ては順調そのもの。

とっても幸せそうです。

 
でも、新米パパさんには、ちょっとした悩みが有りました。
赤ちゃんが中々、懐いてくれない。というものでした。

 
それも当然のことで、仕事で朝、赤ちゃんが寝ている間に家を出て、

夜寝静まってから帰る。たまに顔を見ても誰だか分からないので、泣いてしまいます。

 
私にも同じ様な経験がありました。

嫁さんは、仕方ないとしても、お義父さんにも負けちゃうの?みたいな…。

 
そんな時、ゴールデンウィークだったか、お盆休みだったかで、

何日か連続で一緒に居られる時間があると、

家族と認められたのか、途端に仲良しに成りました。

 
そんな経験談を新米パパさんにして、

「心配無いですよ。子育ては質より量。時間ですよ。」
なんて偉そうに話をしたのですが、実は私自身が新米パパだった頃、

同じ様なことを患者さんに尋ねていました。

 
その方は、外国航路の船長さんで、

子供と顔を合わさない事では、私の比では有りません。
その患者さんは、
「一緒にいる時間の長さじゃなくて、どれだけ濃密で充実した時間を過ごしたか…だ。」

と教えてくださいました。
二人の息子さんも既に二十歳を過ぎ、立派に成長されているので、

「なるほど。そういうものか。」と納得したものでした。

 
でも?orでは?父親にとって子育ては
質か?量か?(ずいぶん乱暴な比較ですが)

 

 

本当の所、どちらなんでしょうか?