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気のせいは、「氣の精」かも?

私達は、いろいろなものを思い浮かべる事が出来ます。
そして、目を閉じてありありとした映像を見る事も出来ます。

 
では私達が暗闇の中、手探りで何かをさがしている時、

脳はいったいどんな風に働いているのでしょうか?

 
実は、手に触れた物を一々、

視覚状態に翻訳して、映像化しているのです。

 
もちろん、今迄に見ていた映像の「記憶」を

引っ張り出している場合も考えられますが、

それだけではありません。
触れている「感触」を脳が記憶をたどって

映像に翻訳して、認識しているのです。

 
つまり、触覚を視覚に翻訳している、

触覚の「共感覚」とも言えます。

 
このことを利用して、

「目を閉じて、何かに触れる。」という練習をしてみましょう。

 
触覚で認識出来た気感(エネルギー感覚)を

「意識的」に、映像に翻訳してみる。

 
この何となく冷やっとした感触を意識(イメージ)して視ると…。

何となくボヤッと?

 
その時、ぼんやりと「見た」ものが、

気感を見る「萌芽」のようなものになります。
「見た」ものを疑ったり、否定したりせずにとりあえず、

そのまま感じましょう。

 
「気のせいかも?」
でもそれは、「氣の精」かも知れません。

 
曖昧でぼんやりとした感覚をそのまま維持し、留めることです。
気感(エネルギー感覚)は、初めは微妙で囁くようなものです。
その「ささやき」に耳を澄ませるようなイメージが大切です。
それが、そのうちに使える「情報」となってきます。

 
何となく視覚に慣れてくると、応用編?として、
触れた感覚に
「色」をイメージしてみる。
この感覚は、どんな色なのだろうか?と意識的に思い浮かべて(イメージ)して、

何となく感じた色をそのまま視る。

 
また、「におい」を感じてみる。

 
「味」を感じてみる。

 
触覚同志を組み合わせてみる。

 
例えば、「ピリピリする感じ」「柔らかい感じ」「尖った感じ」などの質感と、
「温かい」「冷たい」などの温度感覚や、
「大きい」「小さい」
「重い」「軽い」などなど…。
触覚の「共感覚」とも言えるものを意識的に作り出してみるのです。

 
その際、感じたものをそのまま受け止める。

まあ、一種の「思い込み」みたいなものも重要です。

 
あと1つ、大切なことがあります。
それは…。

 
また、次回に。